タガヤっす。
こんなボクでも一応人の親だったりします。
立場上いろんな方々にお会いすることが多いのですが、ボクが自分のことを人見知りだと言うと誰も信じてはくれません。
それほど対人能力が上がっているわけではありませんが、たったひとつだけ、心がけていることがあります。
それは今現在、子育てにおいて最も重要視していることでもあります。そんなことを改めて感じられたことがあったのでエントリします。
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自分だけの価値観を創造し、発展させる。
恐らくこれだけです。
自立してほしいとか、損得なしに他人のために動ける人になってほしいとか、いろんなことは考えてますが、根っこはこの一言です。
今までのキャリア(経験)の中で、生きていることを心から楽しんでいる人は、総じて魅力的な人が多いです。そんな人の周辺には、これまた魅力的な人が多いのです。彼らに共通することはたったひとつ挙げるとすれば、自分だけの確固たる価値観を持っています。
じゃ、そもそも価値観って何?
簡単に言えば、自分だけの判断材料を持っているんです。
例えば、ケータイ電話を新調したいとします。
最近はスマートホンが流行ってるよね。
スマートホンならこれが人気だよね。
ボクのキャリアで人気の機種はどれだろう?
一般的に他人の意見がポジティブなものや売れ筋商品を買いたくなるのが心理です。しかし彼らは違います。「判断材料」に基づいて明確な選択をします。他人がどれを買ってようが、その商品がどれだけネガティブな意見で満たされてようが関係ありません。
ボクが子供たちに教えたいというか、身につけてもらいたいことはたったこれだけなのです。
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日本の教育は素晴らしい水準にあるとボクは思っています。
しかしながら、みんな同じであることを前提に組み立てられていたため、欧米のように個性を伸ばしたいと考えて変えられました。ゆとり世代って呼ばれるものですね。ボクはそれ自体は否定はしません。素晴らしい教育を変化させようとした努力を評価したいと考えています。
土曜日が休みになり、ボクが子供にしたことは。
何がしたい?
何がすき?
何が食べたい?
何をどうしたい?
これを聞き、実践し、結果に責任を持ってもらう。
こればかりやってきました。
すると面白いことに、とってもいい子に育っています。
別にいい子じゃなくてもいいんだよ?って言うんですけどねw
新学年の初日に先生に反省文を書かされました。
前に同じクラスで仲の良かった友達とまた同じクラスになれたことがうれしくって、授業中におしゃべりをしてしまったらしいのです。
当たり前ですが、クラスで1番早い反省文提出者になりました。
ボクは笑って聞きました。
何でも1番はいいね!でもなんて書いたの?
彼はもうしません的な典型的な反省文を書いていたのですが、ボクが気になったのは、なぜもうしないと決めたのかの理由が知りたかったのです。
一生懸命に勉強しようとしてる友達の邪魔になるからと答えました。
反省文とは、行った行為について反省することを求めていますが、ボクが求めているのは、なぜ反省文を書かされ、なぜ反省し、なぜ反省文の内容になったのか?そしてその後どーするのか? なのです。
彼はその後、反省文は一度も書いてません。
今年小学校最後の学年なので、また反省文書かされるようなことしてよwって言うんですがやってくれません。行為自体は褒められたものではないのですが、彼の価値観の一端が見れるので、反省文が好きになってしまっていました。
それ以外でも彼の価値観の一端を書きたいのですが割愛しますw
とても自慢できる子供たちになっています。
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相手の価値観を尊重すると、逆に尊重されるようになります。
そういう関係って居心地の良いものになります。
彼らにもそんな関係をたくさん作って欲しいと考えています。
そして彼らの価値観を発見し、尊重しようとする姿勢が、思わぬ副産物をもたらしました。
会社のスタッフや取引先や役員をさせてもらってる会社に対しても同じことをするようになったのです。
今まで以上に良好な関係を構築、維持、発展することができるようになりました。
自分の価値観を曲げる必要なんてどこにもないんです。
さっきのケータイの話ですが、仲良くしたいからって同じケータイにする必要はないのです。
なのに。
最近iPhone4Sに変えないんですか?って良く聞かれるんだけど、オレは4で満足してるから、Sにする必要性を全く感じてないしSIMフリーだからこれでいいんです!って言うんだけど、なんか言い訳がましいというか、我慢してるって思われてる気がしてならないんだもん。
5が出たら考えます。
11月 11
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