タガヤっす。
ボクが5年以上も愛用している手帳があります。
かの有名な「フランクリンの手帳」です。
元々手帳を愛用していたボクは、
すんなり移行でき、かつとてもすばらしい使用感でたちまちファンになり、リフィルを毎年買っていました。
ところが、前職を退任してから書き込む予定もなくなり、手帳を手に取らなくなりました。
これでもボクはIT業界の中心で愛を叫んでいる技術者のひとりなので、ノートPCを持ち歩くようになってから、手帳というアナログなツールをデジタル化できないかと、それこそいろんな手法やツールを用いてチャレンジした経緯があります。
打ち合わせの議事録は紙copi、
予定はサイボウズなどのグループウェア、
プライベートはケータイなど。
ところが、今現在と言えば。
打ち合わせはA5サイズのルーズリーフに手書き
予定はグループウェア(共有するため)
プライベートは記憶力w
アナログ管理に戻りつつあります。
なぜかと言うと。
◆
手書きの方が圧倒的に情報処理能力(自分の脳みその)が高いからです。書いて理解できるかどうか。分からない場合、挿絵や図解などを用いて、理解しやすいように記述することができます。
情報の伝達方法で、まず誤解を生む方法は、文字だけのやり取りです。NASAの宇宙飛行士の試験にもありますが、ひとりが実際の絵を見て、無線を通じてパートナーにどんな絵かを伝えます。それを聞いたもう一人が、実際の絵をどれだけ詳細にトレースできるかというモノです。
つまり、どれだけ言語に通じていても、会話で生じる誤解を回避することはとても大変であり、その誤解が生命に関わる職業には、相応の訓練が必要なのです。
テキストだけで理解しよう。それを議事録として社内に共有しよう。そんなん特に訓練も受けてない一般人にできるわけないじゃん。
◆
情報の本質は、正しく理解し、それを活かすことであり、キレイに残すことじゃない。
断っておきますが、デジタル化を否定しているわけじゃないです。手書きのメリットから目を背けないでほしい。自分が手帳を運用しても長続きしないからって。
長続きしないのは、手帳をツールとしてうまく運用できてない証です。そんなに重要じゃないんです。だからすぐに止められる。
グループウェアは情報の共有が目的なのです、ただそれだけ。
手帳は違う。いろんな意味がある。ボクが感じてるメリットを書き出すと。
- 書くことで理解が深まる
- リスクポイントを早く発見できる
- 自分のことが分かる
- どのような環境でも読み書きできる
- 振り返ることも簡単にできる
- 完全無欠なフリーフォーマット
手帳ひとつでいろんなパラダイムシフトを起こすことも可能です。これは実感したことがあるから断言できる。
◆
このエントリは、社内に手帳とノートの文化を広めようとしたら、「使いません」と断言されてショックだったので書いてます。
恐らく、手帳というすばらしいツールの本質を理解していないのではないかと思います。
フランクリンを全社員で利用してる会社も知ってます。恐らく手帳を全スタッフで運用するには、社内教育的な活動が必要なのでしょう。
会社でなくオレ個人で買ってあげようと思ったけど止めた。
お前ら自分で買え。使わないかも知れないものにお金は使えません。
デジタル化を盲目的に推進してしまって失敗というケースが、これからどんどん出てくるんじゃないだろうか?
新しいものを積極的に導入してみるチャレンジはとても重要ですけど、その中で残すものは残していかないと、本質的に良質なものを見分ける能力が乏しくなっていくんじゃないだろうか。
というわけで、ボクはすべてアナログに戻すぜ。
打ち合わせはノート。
スケジュールは手帳。
プライベートも手帳。
#ノートと手帳が一緒にできればいいけど、
#落書きが多いので分けてる
情報の共有化はどーすべか?(汗)
ちなみに手帳用のボールペンは、JORG HYSEK (ヨルグ・イゼック)のペンで東京にしか売ってなく、通販もない時代に買いました。1本5万ぐらいで2本購入しました。涙出たw
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